憲法改正に関して、教育の全部無償化を取り上げるという話があります。
この全部というのは、現在の義務教育(普通教育)の小中学校だけではなく、幼稚園や高校、大学、専門学校などに無償化を広げるということのようです。
結論としては、教育無償化をネタに憲法改正を言うのはペテンの一種です。
憲法は、教育の無償化を禁止しているわけではありません。
教育については、まず、憲法26条があります。
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
憲法は、国家の最低の義務として、義務教育の無償を定めているのであって、義務教育以外を無償としてはいけないとは定められていません。
また、憲法89条では私学に関して規定があります。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
この規定によれば、「公の支配」に属しない教育には公金で援助ができないとされていますから、私学に援助ができるのか問題になります。
この「公の支配」については、議論があるところではありますが、「公権力が当該教育事業の運営・存続に影響を及ぼすことにより公の利益に沿わない場合にはこれを是正する途が確保され、公の財産が乱費されることを防止できること」と考えられています。
そのような理解で私学助成は、憲法89条に違反しないものと考えられています。
私学について全額無償化をするとしても、現在でも私学助成が合憲とされているように憲法89条で禁止されていることにはならないでしょう。
そもそも、教育の全部の無償化は、国公立の学校についての無償化の問題でしょう。
私学にどの程度の助成をしていくかは、国公立の無償化の次の問題です。
上記のとおり教育の無償化の政策を実現しようという場合に、憲法を改正しなければできないということはありません。
国会が無償化を実現するための法律を制定し、その法律を執行するための予算を確保すれば、教育の無償化は実現できます。
今からでも実現しようとすれば教育の無償化はできるのに、それはしようとせずに、憲法改正を云々するのは、憲法改正の事実を積み上げるための口実に「教育の無償化」を使って国民を欺こうとしているのに他なりません。
もし、教育の無償化の政策が実現したとして、将来の国会や内閣においても「教育の無償」を継続させようという必要があれば、その場合は将来の国会・内閣を縛るために憲法で教育の無償化を憲法に盛り込もうという話であれば理解はできます。
しかし、今、全部無償化を実現してもいないのに憲法改正のことを殊更に言うだけですから、真に教育無償化を行うつもりはないのではないかと思います。
私としては、教育無償化が憲法に規定されてしまうと、現在の義務教育の無償の保障さえ、事実上守られなくなるおそれがあると考えます。
長年、義務教育の無償化は続けられてきた実績があり、その積み上げを国会・内閣が簡単に壊すことはできないでしょう。
しかし、教育を全て無償とする憲法上の規定になってしまうと、その実現に必要な予算は膨大なものになり、実際上は実現不能ということになってしまって、現実と憲法の規定をすりあわせるために、教育無償の規定自体が努力義務を定めたものだという解釈で骨抜きになってしまう危険があります。
かつては義務教育の無償について、プログラム規定かどうかという議論がありました。プログラム規定というのは、平たくいうと国の努力義務・目標を定めたものであって、実現しないからといって必ずしも憲法違反にはならないという考えです。
現在では、義務教育の無償は憲法26条2項後段によって直接保障された具体的な権利であるという理解が定着しています。
教育の全部無償化を憲法改正で規定すると、義務教育の無償までも国民の権利ではなく国家の努力目標になってしまうかもしれません。
繰り返しになりますが、憲法改正で教育の無償化を言うのは、憲法改正のための聞こえの良い口実でしかありません。
そういうことを言う人の主張は、警戒する必要があります。
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弁護士 林 朋寛
(札幌弁護士会所属)
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